Share

第9話  一人で生きるという選択

Auteur: marimo
last update Dernière mise à jour: 2026-01-09 21:33:23

秋山真琴は、自分の人生を「失敗した」と思ったことは一度もない。

 少なくとも、これまでは。

 仕事はある。

 生活は安定している。

 誰かに依存せず、自分の足で立っている。

 それは、間違いなく自分で選んできた人生だった。

 流されてきたわけでも、妥協したわけでもない。

 自分の判断で、選び、掴み、手放してきた。

 なのに――

 新しい街で迎える朝は、いつも少しだけ静かすぎた。

 カーテンを開け、朝の光を部屋に入れる。

 整えられたワンルーム。

 余計なものは何もない。

 この空間は、真琴が「一人で生きる」と決めた結果だ。

 衝動で選んだわけではない。

 経済的にも、現実的にも、無理のない選択だった。

 それを後悔しているわけではない――

 少なくとも、そう思おうとしている。

 ただ、満足かと聞かれたら、そうとも言い切れなかった。

 ――私は、何を守ろうとしてきたんだろう。

 誰かと深く関わらないこと。

 期待しすぎないこと。

 失う前に、距離を取ること。

 それは賢い選択だったはずだ。

 実際、真琴はこれまで大きな傷を負わずに生きてきた。

 失恋に泣き崩れることも、誰かに縋ることもなかった。

 でも同時に――

 心の底から喜ぶことも、

 誰かに必要とされる実感も、

 どこかで避けてきたのではないか。

 踏み込めば、失うかもしれない。

 期待すれば、裏切られるかもしれない。

 そう思うたびに、一歩引く癖がついていた。

「他に好きな子ができた」

 その言葉で、陽斗との関係は、あっさり終わってしまった。

 泣き叫ぶような別れではなかった。

 責め合うことも、縋ることもなかった。

 あまりにも静かで、あまりにも現実的な終わり方だった。

 お互い、“結婚”という二文字を意識していると思っていた。

 少なくとも、真琴はそう信じていた。

 年齢も、関係性も、タイミングも、揃っていると。

 けれど、それは真琴の独りよがりだったらしい。

 陽斗は、真琴が変わっていくのを、ずっと隣で見ていた。

 仕事に疲れ、笑わなくなり、

 苛立ちを隠さなくなっていく姿を。

 支えたいと思った。

 寄り添おうともした。

 でも、真琴は弱音を吐く代わりに、壁を作った。

 「大丈夫」と言いながら、

 本当は大丈夫ではないことを、誰よりも分かっていたのに。

 陽斗にとって、

 “一緒に未来を想像できなく
Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Latest chapter

  • ブロックした恋が、抱きしめてきたー冬空の告白、秋山真琴の選択ー   12話

    「でもさ……仕事の方は卒業してないんだろ?」「……してないね。むしろ留年してる」「は?」「今の仕事、行き詰まってんの」「え、病院の?」「病院もだけど……全部。仕事の内容に気持ちが追いつかないの。  気づいたら“誰の人生だっけ?”ってなる」「真琴らしくねぇなぁ」「そう。私らしくない」 大崎はグラスを持ち上げ、真琴をまっすぐ見る。「広告業界に戻りたいんじゃないのか?」 真琴の指が止まる。  喉がきゅっと締まるような感覚。 その質問が、真意を突いたようで、真琴は泣きそうになったが、ぐっとこらえた。「……それ聞く?」「聞くよ。逃げんな」「逃げてないって」「じゃあ答えろって」 真琴はグラスを握りしめる。「……分かんない」「分かんない、は逃げ」「違う。怖いの」「怖い?」真琴は大崎の顔を見た。怖いという弱音を吐いたことで、真琴の中の涙腺が決壊した。真琴は大粒の涙が、頬を流れるまま、拭うことも忘れ、大崎に胸の内を吐き出していた。「三浦さんにも引き留められたのに、振り切ってでてきちゃったし… しかも、今の若い子たち、みんなキラキラしてて……眩しすぎて直視できないし…」「お前も昔キラキラしてたよ」 そう言って大崎は少し黙る。  それから、ふっと笑った。「じゃあさ。俺から聞くけど」「うん」「輝けなかったら終わりなの?」「……終わりじゃないけど」「じゃあ戻れよ。終わりじゃないなら。怖いのはみんな同じだって。俺も怖いし」「大崎も?」「しょっちゅう。だから飲んでんだろ?」「それは逃げじゃないの?」「逃げだよ。でも逃げながらでも戻れる時は戻る。  戻る方がしんどいって分かってても、戻る方が“生きてる感じ”すんだよ」「……ずるいなぁ、その言い方」 真琴は泣き笑いで答える。「ずるくない。本音」 大崎の言った「本音」という言葉が、真琴の胸に刺さる。 しばらく無言で考えていた真琴は言った。「じゃあさ」「ん?」「戻りたいと思ってる自分を、否定しないでおく。  まだ決断はしないけど……そういう自分がいるってことだけ、認めとく」「先延ばし?」「大人の微調整」「やっぱ真琴だわ」「褒めてんの?」「本音」 鍵を返すように、グラスを軽くぶつけ合った。「また飲もうね」「ああ。次はキスなしで」「最初からな

  • ブロックした恋が、抱きしめてきたー冬空の告白、秋山真琴の選択ー   第11話  夜は、まだ答えをくれない

     夜の街は、思ったよりも賑やかだった。  平日のはずなのに、ネオンは眩しく、人の声は絶えない。「この辺、変わったよな」 大崎慎也が、グラスを傾けながら言った。「そう?昔は、もっと雑多だった?」「真琴、こういうの覚えてる?」 カウンター越しに差し出されたのは、ショットグラスだった。  テキーラ。  懐かしすぎて、思わず笑ってしまう。「まだ飲ませる気?」「真琴なら平気でしょ」 そう言われて、否定できない自分がいた。 広告代理店にいた頃。  仕事帰りに飲んで、笑って、夜を使い切るように生きていた。  楽しかった。  確かに、あの頃の自分は、輝いていたと思う。「今は、ああいう生活してないんだろ?」 大崎が、探るように聞く。「……してない」 正直に答える。「病院の仕事は、楽しい?」 一瞬、言葉に詰まる。 楽しいか。  やりがいはある。  誰かの役に立っている実感もある。 でも――「落ち着いてはいる」 それが、今の精一杯だった。「真琴らしくない答えだな」 そう言って、大崎は笑った。 グラスが空になり、二軒目に移る流れになる。  自然だった。  拒む理由も、なかった。 二人で歩く夜道。  距離が、少し近い。「真琴さ」 信号待ちで、大崎が足を止める。「俺、正直に言うとさ……また会えて嬉しかった」 街灯の下で、彼の表情が少しだけ真剣になる。「懐かしさだけじゃない」 胸の奥が、静かに波打つ。 こういう言葉に、昔は迷いなく身を委ねていた。  楽しいなら、それでいい。  未来なんて、その時考えればいい。 ――でも、今は違う。 バーの個室。  照明は落ち着いていて、音楽が低く流れている。 肩が触れ合う距離。  大崎の指が、真琴のグラスに触れる。「変わったって言ったけどさ」 囁くような声。「俺は、今の真琴も、嫌いじゃないかな」 そのまま、視線が絡む。 一瞬で、分かる。  これは、越えられる距離だ。 体温。  香水の匂い。  昔と同じ、でも少し違う空気。 真琴は、目を逸らさなかった。 唇が近づく。  ほんの少し、ためらい。 ――ここで、戻れる。 でも、戻らなくてもいい。 そんな二つの声が、同時に聞こえた。 唇が触れる寸前で、真琴はそっと手を上げた。「――ストップ」

  • ブロックした恋が、抱きしめてきたー冬空の告白、秋山真琴の選択ー   第10話

    それは、懐かしい熱だった その男は、真琴の名前をフルネームで呼んだ。「……秋山真琴?」 声に振り向くと、少し驚いたような、でも楽しそうな顔があった。  スーツ姿。ネクタイは緩め、仕事帰りらしい。「あ……」 一拍遅れて、記憶が追いつく。「久しぶり。覚えてる? 大崎」 覚えている。  忘れるほど薄い関係ではなかった。「大崎、慎也……?」「懐かしいな、その呼び方!まだ覚えてくれてたんだ」 彼はそう言って、笑った。  あの頃と変わらない、軽くて人懐っこい笑顔。 場所は、駅近くの立ち飲みバーだった。  真琴は仕事帰り、なんとなく寄っただけだった。  誰かに会う予定など、なかった。「真琴、今は何してるの?」 呼び捨て。  それだけで、胸の奥が少しだけざわつく。「医療事務。病院で働いてる」「へぇ。意外」 そう言われるのは慣れている。  広告代理店時代の真琴を知る人間は、だいたい同じ反応をする。「大崎は?」「俺? まだ広告。相変わらずだよ」 懐かしい単語だった。  締切、修羅場、深夜のコンビニ、朝焼け。「一杯、付き合わない?」 断る理由はなかった。  断る必要も、感じなかった。 グラスを合わせた瞬間、  真琴は、昔の自分に戻ったような錯覚を覚えた。 会話は軽く、テンポがいい。  仕事の愚痴、昔の同僚の噂、どうでもいい笑い話。「真琴さ、変わったよな」「そう?」「落ち着いた。でも……それ、好きだった?」 一瞬、答えに詰まる。 好きかどうか。  考えたことは、なかった。「悪くはないよ」「ふーん」 大崎はそれ以上、踏み込まなかった。  その距離感が、心地よかった。 楽しい。  ただ、それだけ。 帰り際、大崎が言った。「また飲もう。今度は、ちゃんと時間あるとき」 名刺代わりに、スマホを差し出される。  真琴は一瞬迷い、連絡先を交換した。 駅のホームで、電車を待ちながら、  胸の奥が、少しだけ熱を持っていることに気づく。 ――楽しい、だけじゃダメなんだっけ。 そんな疑問が浮かんだが、すぐに消えた。 翌日、真琴は所用で訪れていた楓と再会した。 病院のエントランス。  白衣姿の楓は、相変わらず忙しそうで、それでも凛としていた。「真琴」 名前を呼ばれて、足が止まる。「久しぶり。こ

  • ブロックした恋が、抱きしめてきたー冬空の告白、秋山真琴の選択ー   第9話  一人で生きるという選択

    秋山真琴は、自分の人生を「失敗した」と思ったことは一度もない。 少なくとも、これまでは。 仕事はある。 生活は安定している。 誰かに依存せず、自分の足で立っている。 それは、間違いなく自分で選んできた人生だった。 流されてきたわけでも、妥協したわけでもない。 自分の判断で、選び、掴み、手放してきた。 なのに―― 新しい街で迎える朝は、いつも少しだけ静かすぎた。 カーテンを開け、朝の光を部屋に入れる。 整えられたワンルーム。 余計なものは何もない。 この空間は、真琴が「一人で生きる」と決めた結果だ。 衝動で選んだわけではない。 経済的にも、現実的にも、無理のない選択だった。 それを後悔しているわけではない―― 少なくとも、そう思おうとしている。 ただ、満足かと聞かれたら、そうとも言い切れなかった。 ――私は、何を守ろうとしてきたんだろう。 誰かと深く関わらないこと。 期待しすぎないこと。 失う前に、距離を取ること。 それは賢い選択だったはずだ。 実際、真琴はこれまで大きな傷を負わずに生きてきた。 失恋に泣き崩れることも、誰かに縋ることもなかった。 でも同時に―― 心の底から喜ぶことも、 誰かに必要とされる実感も、 どこかで避けてきたのではないか。 踏み込めば、失うかもしれない。 期待すれば、裏切られるかもしれない。 そう思うたびに、一歩引く癖がついていた。「他に好きな子ができた」 その言葉で、陽斗との関係は、あっさり終わってしまった。 泣き叫ぶような別れではなかった。 責め合うことも、縋ることもなかった。 あまりにも静かで、あまりにも現実的な終わり方だった。 お互い、“結婚”という二文字を意識していると思っていた。 少なくとも、真琴はそう信じていた。 年齢も、関係性も、タイミングも、揃っていると。 けれど、それは真琴の独りよがりだったらしい。 陽斗は、真琴が変わっていくのを、ずっと隣で見ていた。 仕事に疲れ、笑わなくなり、 苛立ちを隠さなくなっていく姿を。 支えたいと思った。 寄り添おうともした。 でも、真琴は弱音を吐く代わりに、壁を作った。 「大丈夫」と言いながら、 本当は大丈夫ではないことを、誰よりも分かっていたのに。 陽斗にとって、 “一緒に未来を想像できなく

  • ブロックした恋が、抱きしめてきたー冬空の告白、秋山真琴の選択ー   第8話

     真琴が限界に近づいていることを、最初に感じ取ったのは陽斗だった。 些細な言葉に過敏に反応し、黙り込んだかと思えば、急に強い口調になる。 以前なら笑って流していたことにも、刺が立つ。「……最近、どうしたの?」 夕食のあと、沈黙に耐えきれなくなった陽斗が切り出した。 真琴は一瞬だけ言葉に詰まり、視線を逸らす。「別に。何でもない」 嘘だ、と自分でも分かる答えだった。 けれど、本当のことを言う勇気もなかった。「何でもないわけないでしょ。明らかに無理してる」 その言葉に、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。「……私さ」 真琴は、そこで一度言葉を切った。 初めて、“誰かに本音を言おう”としている自分に気づく。「病院の仕事、ちょっと……後悔してる」 絞り出すような声だった。「向いてないとか、嫌いとかじゃないけど……。 毎日が、息苦しくて。 このままでいいのか、分かんなくなってきて……」 ようやく口にした本音。 それは弱音であり、助けを求める言葉だった。 だが――「……だから言ったじゃん」 陽斗の声が、思ったより低く、硬かった。「文句言うのは贅沢だって。自分で選んだんでしょ?」 その一言が、真琴の胸を深く刺した。「分かってるよ! 分かってるけど……感情は、そう簡単じゃないでしょ!」「じゃあどうすればいいの?」「そんなの、私だって分かんない!!」 言葉がぶつかり合い、空気が荒れる。「楓さんのためって言ってたのも、本当は違ったんじゃないの?」「なに、それ……」「逃げたかっただけじゃないの?」 その瞬間、真琴の中で何かが切れた。「ひどい……! 私がどんな思いで辞めたと思ってるの!?」「じゃあ、今の不満は誰のせい?」「……っ」 答えられなかった。 沈黙が、喧嘩を決定的なものにする。「今日は、もう話せない」 陽斗はそう言って席を立ち、部屋を出ていった。 翌日。 真琴は、目の奥が重いまま病院へ向かった。 いつも以上に周囲が気になり、集中できない。 そんな中、廊下で楓と鉢合わせた。 一瞬、逃げようとしたが間に合わなかった。「……真琴。最近、元気なさそうだけど、大丈夫?」 その声は、心配そのものだった。 なのに―― 真琴の口から出たのは、冷たい言葉だった。「……忙しいので」 楓の表情が、一瞬だけ固

  • ブロックした恋が、抱きしめてきたー冬空の告白、秋山真琴の選択ー   第7話

     ストレスを抱え始めた真琴は、目に見えて楓を避け始めた。 それは、自分でもはっきり分かるほど露骨な変化だった。 廊下の向こうに楓の姿が見えると、真琴は反射的に足を止め、踵を返して反対側へ歩いて行った。 偶然を装う余裕すらなく、ただ逃げる。 胸の奥が、きゅっと縮む。 楓の背中を見るたびに、申し訳なさと、向き合うのが怖い気持ちが同時に湧き上がった。「秋山さん、渡辺先生の資料を届けて……」 そんな声がかかっても、真琴はすぐに視線を逸らす。「ゴメン。私患者さんと約束があって…」 本当は、数分あれば終わる用事だと分かっている。 それでも、楓と顔を合わせる可能性を、無意識に避けていた。 断ることが増えるたびに、胸の奥がざらつく。 こんな自分でいいわけがない。 そう思えば思うほど、行動は逆を向いてしまう。 帰宅すると、真琴はどっと疲れを感じた。 誰に何をされたわけでもない。 けれど、心だけが擦り切れている。 一人の部屋。 灯りをつけた途端、静けさが重くのしかかる。(自分で後悔しないと宣言したのに……) その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。 そう思えば思うほど、自分自身が一番後悔していると認めているようなものだった。 洗面所に立ち、真琴は鏡に映った自分の姿を見る。 そこにいるのは、疲れた表情の女。(私、全然輝いてない……) 広告代理店に居た頃は、パーティーやお披露目会などに出席することも多かった。 ドレスを着て、ちょっと豪華なアクセサリーをつけ、 ワイングラスを片手に、会社社長などを相手に雄弁を語っていた。 言葉で空気を操り、企画で人を動かし、 自分が世界の真ん中に立っているような感覚すらあった。 それに比べて、今は――。

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status